ちょっと一休み
「ハエが、ぶんブン....」
近頃何か良い事ないかなぁと、ぼやく。
景気が良い慌ただしさなら許せるのだがと、また、ブツブツと
いいながら茶の間でビールを飲んでいた。
外を見ると、雑草が所狭しと生えていて我が家の庭も汚くなったも
のだ。
そのニワトリも年を摂った。
「雑草も食べなくなるのも仕方ないか」と、つぶやいた昼時だった。
飯の支度をしていた家内は、「このハエ、うるさいね」と言って、ハエ
叩きでバシッと、仕留めた。
おもむろに「このハエ、オスかしら」と、さりげなくいうではないか。
憂鬱な顔していた私も、思わず笑ってしまった。
秋のハエは、しつこいからな。
それにしても、私は、気分が明るくなった。
家内は、冗談交じりで「若いからかしら....」と言ったのを聞いて、年を
とっても気持ちだけは若い気でいる。
肉体と気持ちのズレというか、そのこと一致して実感として捕まえる
には、難しいし時間が必要だ。
その意味で、いつまでも若いのが長く続くような錯覚をして出る言葉
は、うなづける。
もう一つの「長く続くような...」言葉に関連した事を思い出した。
私が小学生の時かな、おとぎ話の最後は幸せになって終わる物語が
多かったような気がした。
そして、その幸せが長続きすると何故か信じていたし、そのように思っ
ていた気がする。
いま大人になっている自分は、長続きしない事は経験で知っているんだ。
私生活で幸せになった、または、仕事では成功した。
それらを確かなものにするには、色んな方法を、探し求めて行くのだ。
そして手に入れた幸せや成功は、長続きはしないという。
特に、仕事の世界は大変。
適切の方針を打ち出し、たゆまぬ業務の効率化を進めて、なおかつ運に
も恵まれ勝ち取るようだ。
その様な成功も、知恵有る人は、競合他社にちょっとした差をつける事だ
と解釈しているそうだ。
つまり、一時的な物だという感覚でしかないのか。
ああ〜、なんと難しい世の中に住んでしまったことだろうか。
布団をかぶって、一眠りしたいものだ。
これからも、なんにも変わらない生活がまた始まりそうだ。
春風するめ。