寄り道
 
  「鳥の場合は贈り物...」
 
 
  最近、「自分の力では、どうしようもないこともあるさ」と、ボヤ気が多
  くなった。
  よく病気で入院していた若い頃「健全な肉体に、健全な精神は宿る」と
  弱音を吐いていた自分を思い出した。
  「これじゃ、だめじゃん」と思い散歩に出て、高校の近くまで来た。
  ついでに、一昨年ポプラ並木に断り入れずに植えた、かいぐるみの木を
  今どうなっているのだろうと期待と不安を持ちながら、見に行ってみた。
  取り除かれて無く、無事だった。
  雪の性か曲がっているものもあるけど、頑張って生き延びているという
  感じだった。
  それに、気をよくして、近くの川の縁に植えた木を、見に行った。
  跡形無く、伐採されてしまっていた。
  断り入れないで植えたので、切られても仕方がないけが、邪魔になら
  ないなら「おがら(育つの意味)して、おいてよ」と、思ったが。
  その点、この高校は誰が植えたか分からない木であっても、その状態で
  おいてくれたのだろう。
  たとえの話で、鳥の贈り物がある。
  庭や畑で蒔いた事の無い植物が咲き出すことがある。
  草木のタネを食べる鳥は、砂袋で消化されずに糞として、土に落とされ、
  その種が、芽を出す。
  その事を「鳥の贈り物」という話。
  「鳥は、贈り物」で「人間のする事はいたずら」になるか。
  でも、「黙ってすることは、同じじゃないか。」と叫んでしまいそうだ。
  これって、どう捉えるその人のヒトなりだろう。
  それにしても、なんて心の広い人達がいる高校だろうか。
  私は、おもうよ。
  この高校の人達のような心を、持ち続けることが出来るだろうか。
 
 
                                 春風するめ